香り

f:id:beautyns:20211222183232j:plain



最後まで人が忘れられないものは香りらしい。

まず声を忘れる。それから体温を。次に、形を忘れ、言葉を忘れ、横顔も忘れる。それでも最後まで忘れられないもの、暴力的に私たちを立ち止まらせて、一瞬にして現在から過去へと突き飛ばすもの。正確に身体に埋め込まれた、時限爆弾のようなもの。恋文にも似た、脅迫状のようなもの。

香りという形のないものを的確に表す言葉がないから、人はまずそれを意識的にも無意識的にも、藁をも掴むようにして、記憶するのかもしれない。

 

それでも街角で懐かしい香りにぶち当たった時は、肋骨が軋みそうな痛みを感じる。もう、なんとも思っていないのに。あるいは、その人の名前を聞いた時も、だ。もう、どうしたいとも思っていないのに。そう思うことも、私が私に吐く嘘なのだろうか。

香りは二度目以降の失恋を、何度でも私たちにもたらす。

そんなわけでフレグランスが好きだ。無駄で、贅沢で、孤高。あるいは、煙草や映画館と同じ性質だ。フレグランスもまた、私たちを一人きりにもさせてくれれば、一人ぼっちにもさせてくれる。人工的孤独とは即ち、他人に与えられる地獄でもある。

 

 

大好きな彼と会うときには必ず香水を纏う。必ず。

その香りが私自身の香りだと錯覚させる。

君の香りがする、なんて言われた時にはこちらの勝利。

別れ話をする時にはいつもはつけない香水を纏う。

もう貴方のものじゃないのよ。とでも言わんばかりに。

 

香りはどうしてこんなにも呪縛的なのだろう。

普段は思い出しもしない、かつての恋人の香りがふとした時には走馬灯のように過去が蘇る。

胸がぎゅっと締め付けられては過去の思い出に浸ってしまう。

危険なことに、そんな時に思い出すのは楽しかった思い出たちばかりなのだ。

一緒に行った旅行、お洒落して行ったレストラン、ドライブ、たわいもない会話、、、

首を必死に横に振っては思い出を振り払う。

思い出は美しい、なんてお決まりのフレーズなのだから。

 

それは相手も然り。

私の香りを思い出せばいい、ふとした瞬間に私を思い出せばいい。

その度に私との楽しい思い出を思い返せばいい。

私は別の人と楽しい日々を過ごしているから。